若い世代の入院
コロナでの入院する若者もいるはず、入院の心得と経験者の失敗談。

16 4月

Posted in on 16.04.21

ご飯をあまり食べなかった時期が続き、家でもベッドで寝たきりのような状態でした。氷の入った水を水筒に用意し、主に、水を飲んで過ごしていました。食欲が無かったかと聞かれたら、ありました。ありましたが、胃痛があり結局長い断食となってしまいました。そのような状態が続くと、いつしか、周りの物が歪んで見えるようになりました。やっとご飯を食べようとした時、家族が救急車を呼んで、病院へ行き、病気が発覚しました。

ベッドに寝たまま、栄養を点滴で注入されたかと記憶しています。そこの病院は少し家から遠いので、心細く不安になってしまったのもあり、家から近い病院に転院しました。そこで、そのまま入院ということになりました。固形のものはまだ食べては良くないそうで、スポーツ飲料や、重湯、ほとんど具の無い味噌汁や柔らかい味のあまりないおひたしなどを食していたと思います。

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食べられなかった原因は「十二指腸潰瘍」と診断されました。また、視界の歪みについては「眼球振盪」ということでした。その時には、視界は、縦揺れに激しく動き、人の顔も、物もよく見えず、きちんとわかり兼ねるほどでした。定期的に血液検査や体重測定、点滴での栄養摂取が行われました。血液検査の結果が良ければ、徐々に固形物の病院食となって量も増えて行きました。栄養不足を補う食事や、ビタミン剤などの飲み薬、筋肉低下による筋肉痛などで湿布薬が処方されました。

四人部屋の大部屋に入院していましたが、誰とも話すことはありませんでした。他の人達は、仕切りのカーテンをある程度は開けていてオープンのようでしたが、元々の性格が内向的なため、一日中カーテンも閉めっぱなしでした。しかし、向かいのおばあさんが見舞客との会話から、おばあさんの娘さんの名前と、母の同級生の名前が同じだと知りました。

また、住んでいる場所も母の同級生ととても近い場所であったため、ある日、母がおばあさんの元へ話し掛けに行きました。すると、娘さんと同級生は、同姓同名の他人だとわかりました。しかし、そこから私もおばあさんと仲良くなり、話すようになりました。その輪が広がり、この大部屋の皆さんと仲良くなることができました。

夏だったので、夏らしく、売店からアイスを買ってきて、皆で食べたりもしました。モナカのアイスで、皆、1つは食べきれないかも知れないと言うことで、2つ買ってきて、それぞれ、半分こして食べました。ちなみに、お金は折半しました。代表して、私が売店に赴いたのですが、5円か10円多く払ったおばあさんがいました。「返金しなくていい、わざわざ買ってきてくれた分の駄賃」と言ってくれました。

入院中に困ったことは、脂肪が無くなり、次に筋肉も無くなってきていたので、歩くこともきちんとできなかったことです。入院中、暇なので歩きたかったのですが、歩くことができなかったので、難儀だったと思います。歩く練習をリハビリでしていましたが、眼振がきつくて、なかなかまっすぐ歩くことができづらかったです。

また、なんと言っても、身体を起こしていることもきつかったので、それは困りました。すぐに身体や首などが痛くなり、ベッドで痛みをこらえるような感じでした。ある日、主治医の先生が、私がうつ伏せで痛みに完敗しているような状態でいるのを発見して下さいました。そのお陰で、湿布薬を処方して頂けて、とても嬉しかったです。

更に、家族に、塗るタイプの筋肉痛治療薬をドラッグストアで買ってきてもらいました。それを塗ると、スッとして筋肉痛も和らいでいくようで感動してはしゃいでいたのを覚えています。単純なことかも知れませんが、入院生活で困っていたことが1つ解決できたような気がして、喜ばしかったです。