20歳の時、扁桃炎にかかりました。当時は大学とアルバイトで忙しい上に友人たちとも夜遅くまで遊ぶ日が続いていました。そんな中、喉の痛みを感じるようになっていたのですが、風邪だろうと思って放置していました。喉の痛みを感じるようになって2、3日経った夜、友人と一緒に食事をしていた時、急に食べ物が飲み込めなくなりました。
どんなによく噛んでも食べ物が喉を通らない感じで、水どころか唾もうまく飲み込めなくなってしまいました。そして翌朝、首が横に傾いたまままっすぐに戻せないほどの喉の痛みがあり、さすがにおかしい、絶対に病院へ行くように親や友人にも言われて、しぶしぶ病院へ行くことになりました。
40度近い高熱があり、扁桃腺は腫れて膿がたまり、白くなっている状態でした。先生には「もっと早く受診すべきだった」と叱られ、即入院という流れになりました。治療は抗生物質の点滴と、喉に注射針を刺して膿を抜くというもので、手術には至りませんでした。扁桃腺を除去することを良しとしていない先生だったので、残す方法でじっくり治療をしていく方針でした。
2週間ほど入院しましたが、最初に1週間はとにかく喉の膿を抜くという治療が苦痛でした。麻酔ができないので痛みに耐えなければならず、看護師さんに体を押さえられた状態で口を開け、喉の奥に先生が注射器を挿入して針を刺し、数秒かけて膿を抜いていきます。何もしていなくても喉が腫れて痛いので、そこに針が刺さると耐え難い激痛でした。
耳鼻咽喉科専用の入院病棟がなかったため、なぜか産婦人科の病棟に入院していました。さすがに妊婦さんとは別の病室で、婦人系の病気の方々と同室でした。毎日激痛を伴う治療と点滴でベッドに釘付けの状態でかなりメンタルも参っていたのですが、同室の方たちが話しかけてくれて励ましてくれたのでとても嬉しかったです。私の病室は、手術をしてから状態が落ち着いてきた人たちが移ってくる部屋だったので、もう退院間近の人たちばかりでした。
そんな中、私がいちばん重症っぽい状態だったので、痛みで苦しんでいるときに気づいて看護師さんを呼んでくれたり、売店でアイスクリームを買ってきてくれたりして、本当に親切にしてもらいました。私が歩き回れるようになってからは、産婦人科病棟なので、よく生まれたばかりの赤ちゃんを見に行っていました。病院は人が亡くなる場所でもありますが、産婦人科は赤ちゃんが毎日生まれるので、それを見ていると元気がわきました。産婦人科病棟に入院できたのはラッキーだったかもしれません。
入院から1週間ぐらいは喉の腫れと激痛の治療のせいで声を出すこともできませんでした。そのため、看護師さんに伝えたいことをうまく伝えられないことが本当に困りました。落ち着いている時は筆談でなんとかなりましたが、急を要するときや痛みがひどくて苦しい時は紙に書いている場合ではなく、わかってもらえないもどかしさで本当に辛かったです。結果的に2週間で完治したので、治療期間は短かったですが、毎日喉から膿を抜く治療は3日目あたりで恐怖になって、拒絶反応が出てしまうほどでした。
感情的になって、お見舞いに来てくれた母親や友人に八つ当たりしてしまうこともありました。そんな自分のことが情けなくて、本当に精神的にもへこんでしまいました。それでも、ほぼ毎日病室をのぞきにきてくれた母親や友人は、声が出なくてもしてほしいことをちゃんと汲み取ってくれたので、本当に心配してくれているんだと思って感動しました。言葉で言わなくても、かゆいところに手が届くというか、わかってくれることに常日頃の関係性に対してのありがたみを実感しました。